国立大学法人 奈良女子大学
日本アジア言語文化学

日アの本

日本アジア言語文化学会員の著書・編著を、刊行年月順に紹介しています。なお、価格はすべて税別で表示しています。

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【2019年】

▼ 尾山慎 著『二合仮名の研究』

尾山慎(本学准教授)

修士課程在学中、一年間仁和寺に籠もりました。毎日毎日、お経を読んでいるとき、「作」という字を「サ」と読んだり「サク」と読んだり、あるいは「サ,,,」と母音を添えずにサk(詰まる音)のように読めというような、様々な読み癖の指示があることに興味を覚え、復学してからは「声明」という仏教声楽の譜本を取り上げて、どっぷりと漢字音研究にハマりました。博士課程にあがって、ふと、鎌倉時代の声明よりもずっと前から漢字は使われている、上代の字音はどうなっているのかと思い、萬葉集でp,t,k、n、m、ngという子音韻尾をもつ字音が万葉仮名としてどう使われているか、その全てを調べようと着手し、結局それが、学位論文になりました。

研究を進めるうちに、二合仮名という子音韻尾を活かした二音節の仮名――「作(サク)」が面白い動きをしていると分かりました。音読み仮名なのに、訓字主体表記にしかほぼ出てこず、付属語表記によく使われ、またその字母の大半は、訓字としても使われます。これは、実は訓仮名の特徴にそっくりで、音仮名なのに訓仮名のような働きをし、かつ、訓仮名では書きにくいところ(たとえばラ行音から始まるなど)を補完しているらしいと分かりました。二合仮名は萬葉集には固有名詞をいれても三百例程度しかなく、萬葉集全体でも1%にも満たないのですが、すっかり魅せられてしまい、韻尾を棄てた一音節仮名「作(サ)」のような例(略音仮名)は、七千七百例ほどもあるのに、本の題名を『二合仮名の研究』として、マイナーなこちらを主役に立てました。

着手としては略音仮名から入ったので、はじめて萬葉集CD―ROMで字母を検索してみたら、八〇〇〇例弱も検出されてしまったことに頭を抱えた博士課程の頃から、およそ十六年が経ちました。ようやく一冊になったのですが、書いたそばから課題は次々湧いてきています。今後も、視野を広げて、上代の日本語について、あるいは後々の時代まで含めて、文字・表記を巡る問題について思索していきたいと思っています。

《和泉書院、2019年2月、486頁、14,300円税込》

▼ 野村鮎子 編/松村昂・和泉ひとみ・田口一郎 執筆『『列朝詩集小傳』研究』

野村鮎子(本学教授)

『列朝詩集』は、銭謙益(1582〜1664)が明朝滅亡後に編纂した明詩の選集である。全八十一巻で、上は皇帝から下は宦官や異域の詩人まで、一千八百三十余名の詩人の詩を収録している。詩人ごとの選集という編纂スタイルを採っており、詩篇の冒頭には詩人の略歴を記した「小伝」が冠せられている。この「小伝」は明代詩人の伝記をコンパクトにまとめていることから後世の人々に重宝され、康熙三十七年(1698)には、銭謙益の族孫にあたる銭陸燦が「小伝」のみを集めて、『列朝詩集小伝』という名で刻行した。

「小伝」の内容は、詩人の字号、年里、官爵、著述といった客観的事跡にとどまるものではなく、明の詩派や詩人に対する銭謙益個人の批評をも含んでいる。古文辞七子に代表される復古主義が「模擬剽窃」に陥り、それに反撥して興った公安派が「浮佻卑俗」に走り、さらにその反省から生まれた竟陵派が「幽深孤峭」に堕ち、その結果として明詩と国運がともに衰退した。――こうした今日中国文学の世界で広く受け入れられている明代文学史観は、「小伝」にその源流があるといっても過言ではない。

本書は、『列朝詩集小伝』の中から明代を代表する詩人四十名の「小伝」を選び、その依拠した原資料や関連する文献資料を提示しつつ、注釈を施した研究書である。「小伝」が依拠した原資料を比較し、伝記の改変や潤色の有無を確認することで、銭謙益が詩人の伝記をどのように再編集し、明詩観をどのように構築したのかを具体的に示すことができたと考える。

《汲古書院、2019年1月、856頁、18,000円税別》


【2018年】

▼ 木村小夜 著『ままならぬ人生―短篇の扉を開く―』

木村小夜(福井県立大学教授・本学元助手、平成2年度博士課程単位取得満期退学・平成6年学位取得・博士(文学))

視覚によらず基本的に言葉だけで勝負する、という点で本とラジオはよく似ているが、この親和性をコンセプトとし、本に関する様々な情報を提供する「空飛ぶ文庫」という番組がFM福井で放送されている。本書は、筆者出演分のほぼ半分に当たる十五回分を、進行役であるアナウンサーとの対話形式のままに、読み物となるよう起稿したものである。学校教材として読まれてきた『高瀬舟』『トロッコ』やプロットが起伏に富む太宰治・安部公房・三島由紀夫・村上春樹の作品、海外作家ではオー・ヘンリーなど、毎回一つの短篇を中心に取り上げた。

作中に孕まれた謎をまず取り出し、通念的な読みを疑ってみる、そのことが作品をより立体的に読むきっかけとなる、そして、この謎を解くヒントもまた作品の中にあり、さらに同じ作家の他の短篇や下敷きとした原典、時代背景を踏まえることで新鮮な読みの可能性が生まれる――こうしたことは研究の世界では自明で、事実、ここで話した内容の大半も既発表の拙論のエッセンスではある。ただ、小説をこのように謎解きとして読むありかたは、もっと広く気軽な形で共有されてよいのではないか。私も含めて大部分の人達が小説を読むのは、結局(様々な意味で)楽しむためなのだから。

こうした趣旨に沿うように、本書では対話がそのまま聞こえてくる感触を極力残し、その中から謎解きの過程を浮かび上がらせようと試みた。筆者自身から決して除去できない関西弁もあえてそのままにした。よって、『パン屋再襲撃』に出てくる〈マクドナルド〉も当然、本書では〈マクド〉である。同様の気軽さで、論文では書けないような日常感覚も口走る。すると、読み手自身の切実な経験の中にも作品を解く鍵の潜んでいることが、垣間見えてくる。実証ではないと仰る向きもおいでだろうが、それが小説を読む上で重要な手がかりとなることを、誰が否定できるだろう。読者と作品の間の個別的な共鳴は、普遍的な論理による追究と必ずしも矛盾するわけではない。

《澪標、2018年8月、178頁、1600円税別》

▼ 李孝悌 著・野村鮎子 監訳『恋恋紅塵――中国の都市、欲望と生活』

野村鮎子(本学教授)

原著は李孝悌教授の中国文化史研究に関する論文集である。李教授はもと台湾中央研究院歴史語言研究所の研究員で、現在、香港城市大学の教授である。台湾において中国文化史という研究分野を開拓した第一人者として知られており、原著は台湾の繁体字版のみならず、中国からも簡体字版が出ている。

このたび台湾学術文化研究叢書中の一冊として日本での刊行が決まり、編集委員からの委嘱により、野村鮎子が日本語訳を監訳することになった。翻訳に当たったのは野村を含めて六名で、うち五名が奈良女子大学関係者である。第三、四、八章を訳出した上原徳子(宮崎大学准教授)と第七章を担当した竹田治美(奈良学園大学准教授)は、本学の博士後期課程の卒業生であり、第六章担当の辜知愚と第九章担当の高尾有紀は、いずれも現在博士課程に在籍している。

本書は全九章から成り、考察の対象は伝統的な士大夫文学から、戯曲や庶民の歌謡、近代の画報まで、多岐にわたる。その時代も明清から近代の上海まで含んでいる。西洋で生まれた新しい文化史という概念を中国の文化史研究の手法としてどのように応用するかを考える際に、本書の内容は示唆に富んでいる。

《東方書店(台湾学術文化研究叢書)、2018年7月、5000円税別》

▼ 奥野陽子 著『式子内親王―たえだえかかる雪の玉水―』余談

奥野陽子(元大阪工業大学教授・昭和51年度修士課程修了)

日本評伝選『式子内親王』のことで、ミネルヴァ書房の田引さんに初めて会ったのは十五年ほど前だった。その後、編集担当は二人も交替、ようよう入稿したところ、担当の青年が「田引さんの方がいいですよ」という無責任な?言葉を残して、突然、会社を辞めた。私の面倒な原稿が辞める決心を後押ししたに違いない。田引さんと再会することになった。

本文を書くのには難渋したが、表紙とか口絵とか考えるのはちょっと楽しかった。評伝選の表紙には人物の顔を出すのがシリーズの恒例、式子の顔をぜひ出してほしいと田引さんは言った。私は、顔を出すなら、田渕句美子氏が角川選書の式子論の表紙にしておられるような、式子が草子などをみている絵が素敵だと思ってはいた。しかしなかなか適当なのはない。架蔵の『新三十六歌仙画帖』は、奈良絵風の可愛いお顔の式子像が気に入っていたが、特に式子らしさを主張するものではなかったので、表紙にはしたくなかった。几帳の影に隠れて顔を出さない式子、むしろこれが普通の式子像であり、表紙にはその方がよいと私は主張した。『新三十六歌仙画帖』については、七夕の和歌を書いた歌色紙と、正面向きの式子の絵姿があるうちの、絵の部分だけを抜き出して口絵の最初に入れてほしいとお願いした。これを表紙にすればよいのにという外野の声を意識してかしぶしぶ、それでも田引さんは承知してくれた。

ところが、である。最後の最後の校正段階になって、「和歌の文字もあったほうがいいと思うんです」と田引さんはいつになく強く言った。今度は私がしぶしぶ引き下がった。結果として式子像は小さくなり、可愛いお顔は小さく目だたなくなってしまった(口絵一頁)。「文字もあったほうがいいなんて、うまいこというよね〜」と私は感心する。表紙に顔がないのに、口絵の最初に正面向きの顔がアップで出るのは、編集者としては許せなかったのだろう。それで良かったと今は私も思う。十五年の間に田引さんは執筆者操縦術を磨いていたのだ。はかどらなかった私の十五年を振り返らざるを得ない。

《ミネルヴァ書房、2018年6月、378頁、3780円税込》


▼ 奥村悦三 著 『古代日本語をよむ』

奥村悦三(本学名誉教授)

私、そこに達する人は古来稀だと言われる年齢になり、頭脳の働きが今まで以上に衰えてきた身でありながら、最近(本年五月)、自分の著書と言える本を初めて出しました。と言っても、書名こそ『古代日本語をよむ』と大仰ですが、量的にはA5版でわずか二四〇頁と何の重みもない小著ですし、質はと言えば劣悪で拙著と呼ぶしかないものです。

ですから、こんなふうに、日アの会報で著書刊行をご報告させていただくのは、ありがたくもありますが、気が引けることです。まして、お買い上げくださいなどとはとても申し上げられません。とは言え、上代に書かれたものは、仮名ばかりで書かれていても、訓字を用いていても、当代人がどんなふうにそれを書いたのかを考えずに《よむ》ことはできないと思うので、その点だけはわかっていただくことを目標に、精一杯努力はいたしました。

私たちは、思うことを自分のことばで話すのは簡単で、母語を書くのは、思いを、話すかわりに文字で記すだけのことだから、適切な表記法さえあれば容易なことだ(上代には、それがなかったから自由に書けなかったが)と考えがちなのですが、書くには、まず思うことをわかる文章にすることが必要で、それは相当な難事なのだと私は思うのです。

こんな本でも、上代の表記を考える際には表現についても分析すべきことを示せているのなら、出した意味はあると思うのですが…。

《和泉書院、2017年5月、240頁、3,456円》

▼ 岡武^紀子 著『発心和歌集 極楽願往生和歌 新注』

岡武^紀子(本学教授)

ふたつの歌集について注釈と解説をしるした小著である。発行はおよそ一年半前であるから、本会報の前号で紹介を書かせていただけばよかったものを、それを怠っていた。著者本人がなおざりにするくらいなのだから、その程度の拙い研究成果なのであろう。ただ、対象とした歌集自体が文学史上きわめて重要であるということと、一首一首に注釈をつける過程は苦しくも愉しく、知的刺激に満ちていたということだけは、自信を持って言える。

『発心和歌集』は、『法華経』『般若心経』等の要文を題として詠んだ五十五首から成り、村上天皇第十皇女で賀茂斎院をつとめた選子内親王の作であろうと考えられている。仏教経典を題として詠む釈教歌は、平安中期頃から現れるが、『発心和歌集』はその先駆的な例の一つと位置付けられる。『極楽願往生和歌』は、鳥羽院政期に西念と名乗る人物が詠んだもの。歌頭と歌末に同じ字を置く沓冠で、いろは四十七字を詠みこんだ歌に、一首を加えた計四十八首によって、極楽往生への願いを表現する。表記は片仮名書きで、紺紙金泥と白紙墨書の供養目録、青銅製の磬とともに、地中に埋納されていた。平安末期の表記や語彙の資料として日本語学の側から注目されることが多かったが、今回、歌の注釈的読解を試み、東京国立博物館所蔵の原本のすがたを、カラー口絵で掲載することができた。

仏の教えと結縁したいと願う心情を言葉で表現しようとするとき、彼等は和歌を詠むという行為によってそれを実践したのであった。和歌とはいかなるものであったか。なおざりにできない根源的課題に、小著とともに改めて向き合っている。

《青簡舎、2017年3月、250頁、9000円税別》

▼ 房雪霏 著『日常日本』

房雪霏(京都産業大学非常勤講師、平成8年度博士後期課程単位取得退学・文学修士)

一九八九年十月二日、私は上海の虹橋空港から中国国際航空の飛行機に乗り、伊丹空港に降り立った。平成元年だった。『日常日本』を出版した二〇一七年は平成二十九年。六十数篇の文章からなる本書は、この約三十年間のさまざまな日常を記録したエッセイ集だ。ある日のある光景、心に響いたものの記録である。そのうち「北岡正子退官記」と「横山弘先生」の二篇は、奈良女子大学のことについて書いている。

編集者は次のように『日常日本』を紹介している。

これまで、私はこうした角度から、このような態度で「日本」を描く本を読んだことがない。その上、「日本」の細部、事例、情緒などの描写の中に、自然と在日中国人たちの「人生像」も見えてくる。私達のほとんどは、たとえどれだけ日本観光をして、どれだけ爆買いしても、このような「日本像」と「人生像」について、知ることは恐らくできないであろう。(中国語図書ウェブサイトを参照)。

雑誌『読書』の二〇一七年八月号には、『平成日本の「日常」書写』(清華大学歴史学部劉暁峰教授)と題する書評が載った。そこにはこう言う。「貴重なのは、『日常日本』が日常生活の中の日本民衆の暖かさを素直に記録したものであること。」

国家廣播電影電視総局が発表した「北京三聯韜奮書店図書のランキング(二〇一七・五・一から二〇一七・五・七)」の中、『日常日本』は上位二十位入選。同年八月、中国国際放送局の「軽閲読」の録音取材を受け、収録された五十二分のインタビュー内容は ポッドキャスト(Podcast)、網易雲、蜻〓FM、〓枝FMなどいくつかのスマホラジオで公開された。

《生活・読書・新知三聯書店、2017年3月北京、346頁、定価36元》

▼ 蜂矢真郷 著 『古代地名の国語学的研究』『古代語の謎を解くU』

蜂矢真郷(大阪大学名誉教授、本学元助教授)

二○一七年三月発行で、『古代地名の国語学的研究』と『古代語の謎を解くU』とを書いた。

前者のことであるが、私の専門は、語構成を中心として、語彙史、古代語、形容詞などであるので、古代地名の研究を著書にすることについて説明の必要がありそうであるけれども、そこに三つほどの流れがあることはやや長い「あとがき」に記したので、今は、第一篇第一章の大元が卒業論文であったことなどを少し述べておく。

卒業論文は、和名抄・廿巻本所載の地名の、訓注のあるもの全てを対象に、地名を複合名詞と見た場合の、その前項の末尾と後項の末尾との差について見たものである。その年は卒業論文の試問がなかったこともあり、井口洋氏(現、本学名誉教授)を含む当時の大学院生有志が、私を含む三人の卒業論文発表会を企画し先輩達にも案内してくれるということがあり、遠藤邦基氏(現、本学名誉教授)や植垣節也氏(故人、兵庫教育大学名誉教授)にも聞いていただいたりした。

第三篇第一章・第二章は、元々、京都地名研究会の十周年記念講演会(2011年4月、龍谷大学大宮学舎)で講演したもので、地名の二字化について述べた。上毛野(かみつけの)→上野(かうづけ)など三字地名の二字化も、和(やまと)→大和(やまと)など一字地名の二字化も、読みにくい地名の理由となっている。一字地名の二字化のうち、紀伊(き)などについては、遠藤氏が「叙説」2(1968年)に書かれた論文がある。

第四篇第二章は、元々、風土記撰進官命1300年に当たる風土記研究会(二○一三年九月、鹿島神宮)で講演したもので、逸文を除く風土記の地名と和名抄の地名とが対照できるもの全てを検討した。この講演が、風土記研究会の創立者である植垣氏が亡くなられた後のことになってしまったのは誠に残念なことであった。

後者は、『古代語の謎を解く』(2010年)に続くもので、大阪大学と朝日カルチャーセンターとの提携によるHandai-Asahi 中之島塾≠ナ、2005年から、年二回(元は年三回)話してきたことをまとめたものである。最新の研究をできるだけわかりやすく述べることに留意した。中之島塾≠ナ話すことが続くならばのことであるが、いずれ『V』を書きたいとも思っている。

《前者 和泉書院、2017年3月、368頁、本体10500円/後者 大阪大学出版会、2017年3月、267頁、本体2,100円》

▼ 大石真由香 著『近世初期『万葉集』の研究―北村季吟と藤原惺窩の受容と継承―』

大石真由香(岐阜聖徳学園大学専任講師・平成22年博士後期課程修了)

近年、『万葉集』研究の分野で書誌学・文献学研究が見直されている。大正期に『校本万葉集』が刊行されて以降、文献学的研究は退潮傾向にあったが、平成に入って広瀬本『万葉集』の存在が知られ、ここ数年で特に研究が活発になってきた印象がある。『万葉集』研究の一側面として、それを受容してきた各時代における理解のありようを把握することの必要性が顧みられようとしているのである。

本書はその一環として、国学成立の夜明け前とも言える近世初期における『万葉集』の受容・継承の一端を明らかにするものである。藤原惺窩や北村季吟の活躍した近世初期は、『古今和歌集』を文化の基盤とした中世歌学の時代から、あるべき〈古代〉の姿を上代文献の中に見出そうとする国学へと価値観の転回が起こる過渡期である。そのような時代に『万葉集』がどのように扱われたのかを明らかにしようと試みた。

フフモッイハニア_オーオーイハニアケルヘ」、appマツヤリニスフィ一年時に表現研究から文献学研究への急な転向をお許しくださった当時の指導教員・坂本信幸先生や、奥村和美先生、大谷俊太先生をはじめ、奈良女子大学在学中に多くの先生方のゼミに参加し、研究の視野を広げることができたために、この本を上梓することが叶った。

《和泉書院、2017年2月、390頁、12,100円》


▼ 本田義憲『今昔物語集仏伝の研究』

千本英史(本学名誉教授)

本田先生の『今昔物語集』に関しての大著が刊行された。

先生は一九五三年四月に、甲南大学を経て助教授として本学に着任、『万葉集』と『今昔物語集』を中心に講義を持たれ、評議員、フフモッイハニア_オーオーイハニアケルヘ」、appマツヤリニスフィ長、大学院研究科長を歴任、一九八五年三月に定年退官された。

退職にあたって、お祝いの『叙説』特別号が編まれるはずのところ「そのような経費が支出できるのであれば、ぜひとも特別号のページ数全部を自分が埋めつくして『今昔物語集』の論文集を刊行したい」と逆提案をされ、二五〇頁を超える『叙説』第一〇号(一九八五年三月)が刊行されたのは有名なエピソードである。今回の大著では、その第二章にそのまま『叙説』の退官記念号が宛てられている。

ちなみに『叙説』のこの号は、各界からの引き合い、要望が相次ぎ、実は大学にも一冊の在庫もない状況だという(先年院生が読みたくて探してみたが、図書館にも該当誌なしという有様だったらしい)。

このように本書は、まさしく学会待望の著作であった。今回序文にあたる「刊行に寄せて」を小峯和明氏、詳細な解説を荒木浩氏と、斯界を代表する研究者が書いていることは偶然ではない。同時に書き記しておくべきは、この論集の刊行を出版社に提案し、本田先生ご自身にお願いして進めたのが、今は亡き増尾伸一郎氏であったことだろう。氏もまた『万葉集』を含む上代文学と『今昔物語集』を代表とする説話文学の両方の領域の最先端に立つ研究者であった。私どもは増尾さんにどれほど感謝してもしすぎることはない。

実は本田先生は有名な遅筆であった。『叙説』第一〇号がご定年の年度末を遙かに超え、とうとう翌年末に至ったことも有名だが、何年も前、増尾さんから事情を聞いて編集者のYさんとお元気だった本田先生を私がご自宅にお訪ねしたとき、「先生ともかく書き直しは最小限にして刊行してくださいね」と何度も念を押したのはそんな理由であった。しかしやはり本田先生はご自身の著作に手を入れることをお止めにならず、ついにご生前には本書の刊行は果たされることがなかった。

今回の出版にあたって、私がさせていただけたことは、一部の校正作業に止まるが、瞠目すべきは、先生が実にひとつひとつの言葉の細部にまで手を入れられ、改訂作業を続けられた痕跡がありとあらゆる箇所に明瞭なことであった。それは先生の学問に対する誠実さの現れ以外の何ものでもあるまい。あるいは先生はまだ心残りであられたかもしれない。しかしこれはやはり「決定版」として、永く後世に伝えられるべき名著である。

《勉誠出版、2016年12月、894頁、15000円》

▼ 荒井とみよ 著 『詩人たちの敗戦』

荒井とみよ(元大谷大学教授、昭和36年国語国文学科卒業)

「書いた本」という実感はなく、幸運にも生まれた本という気がする。同人誌「水路」主宰者の促しがなかったらきっと書かなかった。また東日本大震災や安保法の出来事がなかったらここまで積み上げられただろうか。与謝野晶子と戦争について思い残しがあった。そこからリレーのように詩人と作家をつないでいった。上梓後、4月30日の「東京新聞」のコラム「大波小波」に次のような紹介記事が出た。褒めすぎで恥じ入るが自分ではとても言えないので引用させていただく。「(前略)中軸を担うのは戦争協力詩の先導者ともいうべき高村光太郎だが、当時の人気を二分した三好達治との対比も鮮やかだ。(中略)日記や手紙を丹念に掘り起こし、書き手の心情や文芸を取り巻く「気分」に絶妙に並走する同書は高村光太郎の戦後の山小屋生活を、単なる隠遁とはみなさない。(中略)マルキシズムとフェミニズムの相反関係の指摘も見事だ。不穏な時代の空気を読む良書」。横光利一や臼井吉見、高見順の敗戦後をたどって小さな旅をした。長年のテーマであった宮本百合子にようやく終止符を打った気もする。同人誌掲載中に同窓生の友人たちの意見や感想が聞けたのも大いに力となったが、その人たちは一冊の本になるとまた印象が変わると喜んでくれた。若いころの読書を振り返り、奈良の学生寮での議論を思い出す仕事だった。一生の運を使い切ったかもしれない。

《編集工房ノア、2016年4月、308頁、2376円》

▼ 柳田征司 著『日本語の歴史』(六巻七冊)

柳田征司(元本学教授)

日本語の歴史は、事実の記述ではなく、説明である。我々の祖先たちは、自分たちの生活や文化万般を支える言語、日本語をどのような方向に動かし来たったのか、そして、我々は今どこにいるのか。その問いに答えなくてはならない。

どうすれば我々はこの問いに答えることができるのか。私はこう考えるようになった。すなわち、研究者が、資料を読み込み、育んで来た言語史観に立って、日本語の歴史の上に起きた最も重大な出来事を感得し、それを中軸に説明することによって歴史を書くことができるのではないかと。重大な出来事、というのは主観的で曖昧であるが、歴史が一人の研究者の目からする説明である以上、その判断こそが求められているのだと思う。判断と言っても、恣意的であってよいはずは、もとよりない。判断する基準はある。一つは、その事が生起したことの影響が日本語全体に広く及んでいることである。そして、いま一つは、その出来事が日本語にさまざまな功罪をもたらしたにしても、結局のところ望ましいことをもたらしているということでなくてはならない。言語は、それを使う全ての人が自らが表現したいことをより表現できるものへと無意識の意識のもとに動かして行くものだからである。

説明というものは、それよりも綺麗で説得力のある新しい説明が提出された時には、修正を余儀なくされたり、取って代わられる。本書の説明が、厳しい批判に耐えて、長く生きのび、多くの読者の知的好奇心を揺さぶることを願っている。

――右は、出版社に求められて書いたリーフレットの一部で、本書執筆の趣意を記した一文である。私は、私の生きた千年紀の日本語の歴史は音便と主格助詞「ガ」を軸に書くことができる、と考えた。続いて、全巻の構成と各巻の要旨を書いたのだが、この機会を得て、次の訂正を加えたい。

  • (1巻部分27行)できない → できないはずである
  • (2巻部分1行)半ばは意図的で、新しい視点から → 意図的で、半ばは新しい視点から
  • (同25〜27行)「をり」〜引き退く→(ポイントを上げる)
  • (6巻部分4行)要説明 → 要判定
  • (同6行)文中の「ヤ」→ 文中の「カ」「ヤ」

肝心の本編について、誤植の訂正だけでも巻末に付すことを考えたけれども、誤植と誤りと思考不足とは連続しており、断念した。執筆時の形のままで批判を受けるのも一つのあり方かと考えた。

三○代の初めから考え続けて来た、日本語の歴史を書くとはどういうことか、という問いにまがりなりにも答えてみて、心残りであることの一つは、研究者だけでなく、日本語の歴史に思いをいたす一般の読者にも読めるものを志向しながら、説明が書物の体裁に追い着かなかったことである。

《武蔵野書院、2010年4月〜16年4月、各2160円税込》

▼ 奈良女子大学アジア・ジェンダー文化学研究センター 編『奈良女子高等師範学校とアジアの留学生』(奈良女子大学叢書T)

野村鮎子(本学教授)

会報の第5号で予告した本書が奈良女子大学叢書Tとしてようやく正式出版の運びとなった。

本書のもとになったのは、本学のアジア・ジェンダー文化学研究センターが二〇一四年に編纂した同名の報告書(全四六〇頁、内部発行)であるが、このたびの市販化にあたり、内容の一部を改訂した。本学の卒業生にぜひ読んでいただきたい。

ところで、この本の出版を契機に各所から留学生に関する情報が集まるようになり、戦前の元留学生のご子孫からは貴重な写真を提供いただいた。比叡山への見学旅行、九州への卒業旅行など学校行事の写真のほか、下宿や校園の中で写したスナップ写真もある。本書に収載できなかったことが残念でならない。いつの日か女高師の留学生の写真集を作ることができればと思う。

《敬文舎、2016年3月、431頁、4500円税別》


▼ 木村小夜 著『太宰治の虚構』

木村小夜(福井県立大学教授、本学元助手、平成2年度博士課程単位取得満期退学・平成6年博士号取得)

作品を〈読み解く〉ということの手応えと面白さを具体的に知ったのは、太宰治『新釈諸国噺』について原典との比較を順に行い、その翻案の手法に緻密な構築性が見出せた時だった。以来、作品論は私にとって今なお可能性を秘めた方法であり続けている。その大部分を前著『太宰治翻案作品論』(和泉書院、2001.2)にいったんまとめ、引き続き翻案作品について考えていたが、他方で、実験的手法による難解な初期作品なども依頼原稿のお題として与えて頂いていた。

そのおかげもあって、本書には、前著から積み残していた『新釈諸国噺』三編の他、初期の「魚服記」「めくら草紙」「雌に就いて」・いわゆる女性独白体の「葉桜と魔笛」「誰も知らぬ」・翻案作品として「清貧譚」「駈込み訴へ」「右大臣実朝」・最晩年の「人間失格」、書簡体を駆使した作品群、同時代の西鶴受容をめぐる論考を収めることとなった。昨今の研究の趨勢に多少感化され、同時代読者の投稿や新たに発見した素材とのつき合わせも行ったが、こうした手続きも作品を〈読み解く〉段階を経てこそ生かせるもの、と考えている。

言葉とその送り手・受け手の関係に自覚的であればあるほど、言葉は現実と虚構の境界を相対化していく、という発想が太宰作品の根底にはある。告白的回想の語りや手記、変則的な行き交い方をする書簡、伝奇性濃い素材や歴史的人物をめぐる物語の受容・翻案。そしてその過剰な語りと読者への逆説性に充ちた挑発――太宰作品に特徴的なこれらの方法や表現が採用された必然性を、言葉が本質的にもつ虚構と現実のせめぎ合いや越境・反転といった性格を鍵として、作品論の立場から解明することを本書では試みた。

いったん活字にしたものには、必ず不満な点が残る。今回一冊とするために、全稿を大幅に書き直しつつ、改めて太宰研究全体と自説を合わせて俯瞰する必要に迫られた。根が怠惰な私にこうした機会を与えてくれたのは勤務校のサバティカルと出版助成の制度で、恵まれた今の環境に感謝している。

《和泉書院、2015年2月、296頁、4800円+税》

▼ 鈴木広光 著『日本語活字印刷史』

鈴木広光(本学教授)

私が印刷史の領域に足を踏み入れ、最初の論文を発表したのは1994年のことである。その頃、この領域はとてもマイナーだった。今もそうである。印刷が人類の文化に果たしてきた役割や影響 ―これには功罪両面がある― は誰しも認めるところなのに、なぜアカデミックの方面に研究者がほとんどいないのか不思議だ。この二十年間、小宮山博史さん、府川充男さんら在野で日本語の活字書体史研究をリードしてきた方々と『本と活字の歴史事典』『日本の近代活字』『活字印刷の文化史』といった本を作って、分野の活性化を図ってきた。この試みに対してはそれなりの評価を得たけれども、印刷史は相変わらずマイナーなままだ。

私たちは多くの新しい資料の発掘によって、それまでの印刷史の記述を随分書き換えてきた。実証面で飛躍的に進展させたという自負はある。けれども、他の領域に必ずしも大きなインパクトを与えられなかったのは、技術、デザイン、歴史、言語、文学など多方面の領域を架橋するような、言語文化に対する視座や領域統合の方法がまだ提示できていなかったからだと反省もした。今回、一書にまとめるにあたって最も意識したのは、そのことだった。生煮えの議論や強引な論の展開があることも自覚しているが、とにかくある一つの視座を貫徹したかったというのが正直なところだ。ちょっと値段が高いのが難点だけれど、是非とも手に取って、こんなに魅力的な研究領域があることを知っていただければ幸いである。(自分の単著だとこんなに真剣に宣伝するのかと、我ながら驚いてしまったのでした。)

《名古屋大学出版会、2015年2月、358頁、5800円+税》

▼ 木村紀子 著『「食いもの」の神語り―言葉が伝える太古の列島食―』

木村紀子(奈良大学名誉教授、昭和40年度卒業)

生あるものは、限られたいのちをつなぐために、日々何かを「食い」続けていなければならない。原始的な社会ほど、人々の関心と時間は、いかにして日々の「食」を得るかに多くがついやされていたはずである。しかし、記紀・万葉・風土記等の本邦初期文献には、必ずしもそうした実態を知るに、十分な記述があるわけではない。

本書は、それら初期文献からわずかに拾える「食」に関わる言葉や記述を綴り合わせ、それら文献時代を遡って、この列島に生きていた太古の人々の「食いもの」への思いを探り、そこにあった言葉と原初の実体を整理する試みである。以下「目次」を簡略に掲出することで、その具体的な内容の紹介としたい。

  • T部 「食ひて活くべきもの」の神語り
    • 一 オホゲツ姫の殺害と穀草の誕生
    • 二 天照大神による水田稲作の開始
    • 三 トヨの国名に関わるイモと穀物由来の国名群
    • 四 海サチ・山サチという神語
    • 五 祝詞のミテグラ(供物)
    • 六 万葉集「乞食者詠」と調理・保存用語
  • U部 神ながらの食い物呼称
    • (1)カヒ (2)ナとウヲ (3)シシとシギ (4)クダ物とクリ (5)くさぐさの種つ物 (6)モ・メ、ノリ、コンブ (7)ネ(根) (8)イネ・シネとヨネ (9)イヒ・ママ (10)カユとモチ・モチヒ (11)コ(ナ) (12)シホ、ス、アメ、アブラ (13)ミヅとユ、シル (14) サケ、(ミ)キ・クシ・ミワ (15)ミケ・ニヘ・アヘ

《角川選書、2015年1月、203頁、税込1836円》

▼ 奥野陽子 著『新宮撰歌合全釈』

奥野陽子(大阪工業大学教授・ 昭和50年度大学院文学研究科国文学専攻修了・文学修士)

後鳥羽院の勅撰和歌集親撰の企ては、正治2年の二度の応制百首から、具体的になる。院が定家の才能を見出したのもこの時である。本書で全釈を施し、解説を付けた『新宮撰歌合』は、建仁元年3月29日、二条殿御所釣殿で催された、中島にある新宮社への奉納歌合である。新古今編纂のための和歌所が二条殿内に設けられたのは、同年7月。和歌所設置直前の、新古今撰集の主要メンバーが揃う三十六番の大規模な撰歌合であり、九首が『新古今集』に入集した、などの点で、重要な歌合である。「隠名、褒貶」という緊張の中でこの歌合は行われた。成立過程が定家の『明月記』に詳しく記録されている点も、注釈の興味をそそった。定家は執筆を勤め、院に歌を絶賛され、緊張しつつも大感激している。「霞隔遠樹」を初めとする十の結題は大方が初出、歌人の苦心が見える。難陳に対する俊成判の老練さも見所である。

ここ数年、宇多院関係の初期歌合を読む機会がある。新古今時代の歌合との違いを実感して驚く。言葉の世界を対象的に扱うことができるようになった喜びにだろうか、「をみなへし」でも「をむなてし」でも可、和やかな笑声が聞えてきそうな歌合で、『古今集』から『新古今集』への和歌史のおのずからの展開が思われる。私にはどちらの歌合も面白い。もうじき仕事を辞めるのに面白いものがいろいろ出て来るのはある意味で困ったことだが、或いは喜ぶべきことなのだろうか。

《風間書房(歌合・定数歌全釈叢書19)、2014年6月、214頁、6000円》

▼ 高岡尚子 編『恋をする、とはどういうことか? ―ジェンダーから考えることばと文学―』

鈴木広光(本学教授)

「性同一性障害」という語を聞くたびに、私は違和感を抱く。性が心と体で一致しないことを悩む人々のことが社会的にきちんと認知されたことは、たしかに以前と比べて少しはましになったといえる。けれども、性が女と男の二種類に明確に分かれていて、それが心と体で一致しているのが正常という通念、そしてそれを前提にした物言いにはやっぱり問題があると思う。生物学的見地からもそれは誤っている。ことば(それがたとえ新語であっても)には、ジェンダーに関わる抜きがたい通念や因習がまとわりついているように思える。

フフモッイハニア_オーオーイハニアケルヘ」、appマツヤリニスフィ言語文化学科が「ジェンダー言語文化学プロジェクト」を立ち上げて、そろそろ十年になる。ことばや文学を突き詰めて考えようとするとき、「ジェンダー」という視点は有効なだけでなく不可欠だ。そのような問題意識から、学科ではジェンダー言語文化学の概論、演習、特殊研究を開講し、シンポジウムを開催し、年報に毎年、活動報告をしてきた。『恋をする、とはどういうことか』というちょっと見、恋愛指南書のような素敵なタイトルのこの本は、プロジェクトを引っ張ってきたフランス文学の煢ェ尚子教授の発案、計画のもと、言語文化学科の有志の教員が集まって作られた。

第一部「「ジェンダー」について考える」は、煢ェ教授によるジェンダー言語文化学の概論、第二部「「ジェンダー」を読む」は有志教員による読み物で、西洋の神話・伝承物語から、近現代の恋愛・ロマンス小説、日本の短歌や中国の恋愛映画まで、「恋とジェンダー」をテーマに各国文化と文学の読み方を提案している。日アのスタッフは、「中国の足をめぐるエロティシズムとフェミニズム」(野村鮎子)、「誰が恋をしているのか―和歌・ことば・主体」(岡武^紀子)、「自分の恋を語り、書くことをめぐる闘争」(鈴木)を担当。

この本をタイトルに決めたのは、煢ェ教授がジェンダー言語文化学概論の授業題目としてシラバスに書いたところ、勘違いした学生が沢山いて受講者数が多かったことによる。冒頭に書いたような通念を日頃から疑わない人たちが、この本のタイトルに惹かれて手に取り、中身とのギャップに驚いてくれたら愉快だな、とそんな想いが込められている。

《ひつじ書房、2014年4月、207頁、1800円》

▼ 鈴木広光 著『「徒然草」ゼミナール』(まほろば叢書)

鈴木広光(本学教授)

日本古典文学大系や全集には、ふつう校訂本文のほかに校異が示されている。私の学生時代からそうだが、演習では、その校異を資料に書き写したり、当該箇所の読解に参照したりということはあったけれども、なぜ諸本でそのように語句や文に違いがあるのか、その表現の違いが本文の読みにどう影響するのかを正面に据えて考えることがほとんどなかった。

多くの日本の古典と同じく、徒然草も兼好自筆本なるものは現存しない。現在出版物として提供される本文の底本になっているのは、江戸時代以来「流布本」としてよく知られてきた「烏丸本」か、現存最古の写本として知られる「正徹本」である。これら二つの伝本を比べると、たとえば枕草子などの諸伝本ほど大きな違いはないが、それでも語句や表現が異なる箇所は非常に多い。けれども、その語句の異同は校訂本文を作成したり、徒然草の本文系統をさぐるためのマテリアルとして使用されてきたにすぎない。本文の異同をつまみ食い的に利用するのでなく、諸本それぞれの表現の違いに即して読み込みながら、語り方の違いを復元していくべきでないか。表現のしかたが諸本によって異なるということは、実は言わんとすることが異なるということだ。このような視点からは、「『徒然草』にはこう書かれている」、「兼好はこう主張している」という言説は相対化されることになるだろう。

この本は、平成23・24年度に鈴木が開講した学部向けの授業「国語学演習」に参加した学生たちによるレポートのうち、諸本(主に「正徹本」と「烏丸本」)の表現の違いをもとに、本文の読みに関わる問題を論じたものを、先に述べたような問題意識のもとにまとめたものである。執筆者は、守田幸、福田さつき、山下瑠璃、田村美由紀、鈴木小春、熕」智美の六名。本学フフモッイハニア_オーオーイハニアケルヘ」、appマツヤリニスフィのまほろば叢書の一冊として上梓するために、授業以外にも研究会を開いて検討を重ねた成果で、いずれも力作である。編者自ら言うのもなんだが、学部学生が書いたものとしてはかなりレベルの高いもので、単なる授業報告ではなく、ちゃんと読み物になっていると思う。

教員をやめるまでにあと何回、こんな演習ができるだろうか?

《かもがわ出版、2014年3月、112頁、1100円》

▼ 樋口百合子・藤田朱雀 著『万葉の四季―和歌を学び、書を楽しむ―』

樋口百合子(本学古代学学術研究センター協力研究員・平成23年博士号取得)

香道には、香木を〓(火+主)き出す香元と連衆の成績を記録する執筆の二つの役割がある。故に書の研鑽は欠かせない。筆者も香道を初めて数年経ってから、学生時代以来数十年ぶりに書を始めたが、稽古日のみ筆を持つ不心得者では一向に上達はしない。それでも師に勧められて展覧会に出かけることが多くなった。万葉歌が頻繁に書の題材に取り上げられていて、歓迎すべきなのであるが、作品に付せられた解説を見て「?」と思うことが度々あった。それが本書を書くきっかけと言えるであろうか。

古典和歌の世界―なかでも『万葉集』はなかなか入って行きにくい世界であるらしいが、わかりやすい歌を選ぶことを主眼とし、和歌の世界に親しむべく、丁寧な解説を試みた。

書は藤田朱雀氏の担当である。氏は国内外で書の個展を開催、日展作家、読売書法会理事などを勤める。和歌に合わせた模様のある料紙や、扇面、羽子板、短冊、帯などを用いている。さらに初心者向きに、懇切丁寧な書法の解説、巻末には変体仮名一覧、連綿体を付し、筆を取ればすぐに書けるように工夫されている。カラー頁も豊富で頁をめくるだけで楽しい。又四季の扉の篆刻は松本艸風氏の手による、味わいのある作品となっている。

本書をみて久しぶりに筆を持ちたくなったと言ってくださる方もいる。他に「大人の絵本、頁を繰るごとに穏やかになる」など過分な評も寄せられ望外の喜びである。

猶、10月29日から芦屋市谷崎潤一郎記念館で、本書の作品の展覧会を開催中である(12月7日まで)。実際に見れば作品の素晴らしさも一際理解できると思われるので、ぜひ足をお運びいただきたい。

《淡交社、2014年2月、127頁(一部カラー)、1944円税込》

(2014年11月稿。展示は終了しています。磯部補記)

▼ 関西中国女性史研究会 編『増補改訂版 中国女性史入門』

野村鮎子(本学教授)

野村鮎子が代表をつとめる関西中国女性史研究会が編纂した中国女性史の入門書。編集委員として本学会の大平幸代准教授や卒業生である東海学園大学の松尾肇子教授が、執筆者として四名の本学卒業生が参画している。

はじめて『中国女性史入門』を上梓したのは2005年。改革開放政策の中国で女性問題が一気に吹き出していた時期で、該書は順調に版を重ねた。しかし、その後、中国社会の変容は私たちの予想を超えるスピードで進展し、記述内容は現状にそぐわないものとなった。今回の改訂では、中国女性の歴史を「婚姻・生育」「教育」「女性解放」「労働」「身体」「文芸」「政治・ヒエラルキー」「信仰」という八つのテーマに分けて項目別に解説するという構成はそのままに、近年の新しい法律や制度、用語などを中心に改訂を行った。図版やデータ、研究案内も更新した。

《人文書院、2014年2月、230頁、2300円》

▼ 木村紀子 著『古事記 声語りの記(シルシ) 王朝公家の封印したかった古事(ふるごと)』

木村紀子(奈良大学名誉教授・昭和40年度卒業)

『古事記』と『日本書紀』は、ともに奈良時代、天武天皇の発意によって成った古代文献だとされている。ただし、『日本書紀』には、同書自体および『続日本紀』にそのことに関する記事があるのに対して、『古事記』の方は、古事記の序文に、天武天皇の勅語によった由のことが書かれてあるのみで、書紀・続紀といういわゆる正史には何ひとつ触れられるところがない。

ところで、両書共に天武天皇の発意によったとすると、天皇はなぜ神話時代以来の似たような「歴史書」を並行して作ろうとしたのかが、江戸時代以降疑問とされて来た。その議論の中で、古事記は後世の偽文ではないか、少なくとも序文は偽文ではないかといった説も複数の研究者によって主張されたりして来たのである。古事記が平安貴族にはほとんど読まれておらず、無視されていたらしいことも、疑念を増幅させていた。

けれども、古事記序文を丁寧に読めば、天武天皇は『古事記』という文書を作ろうとしたわけではなかったことがおぼろげに見えてくる。漢字文化渡来以前の日本列島において、古事記及び書紀の前半部に相当する、膨大な量の口頭伝承があったことは、疑う余地がない。おそらく天武天皇は、大陸・半島に対して、列島古来の確固たる国の存在を標榜できる、漢字漢文による正史『日本書紀』を作ろうとし、その一方で、古来の由緒正しい声による伝承世界も、稗田阿礼という存在を得て、残したいと考えたのだと思われる。だが、その試みは(天皇崩御によって)中途半端に終わった、と序文は述べている。しかしながら、阿礼の伝承の声は、天武の遺志をよく理解する三代後の元明天皇によって、太安万侶という書記者を得て、文字の記(しるし)とされ、そこではじめて『古事記』という文書が成立したのである。

本書は、そうした『古事記』成立の経緯の解明と共に、そもそも「声語り」による伝承とは、文字記録とどのように異なるものなのか、声に忠実に文字化することで、日本書紀が編纂過程で除外したどのような古事(ふるごと)を、古事記は記し残すことができたのか、またそれらのどの点が、平安公家の古事記を蔑ろにした理由(わけ)だったのか等について、種々の文献の文言から実証的に解明したものである。

『古事記』とは、宣長のいうような「ふるごとぶみ」ではなく、「ふるごと」を語り出すシルシとして書き取られたものだったのである。

《平凡社、2013年7月、208頁、3000円》

▼ 森本隆子 著『〈崇高〉と〈帝国〉の明治―夏目漱石論の射程―』

森本隆子(静岡大学准教授・昭和60年度修士課程修了)

「崇高」(サブライム)は、近代における〈風景の発見〉を導き出す機軸となった美意識である。アルプスに象徴される雄大で荒涼とした自然を前に、死の恐怖と紙一重に獲得されるスリリングな喜びは、自己超越を志向する倒錯的な観念の世界を形成し、明治という男性中心主義的な〈帝国〉を作り上げる快楽装置として機能する。

第一部「転倒の美意識〈崇高〉の力学圏―重昂・漱石・自然主義」は、志賀重昂『日本風景論』に、富士を頂く国土としての美的自然(ビューティフル)を、奇想としての自然(サブライム)に埋め込んでゆく反国家的なロマン主義の相貌を指摘し、この転倒的な美学の圏域を拡充していった自然主義文学の二つの典型として『破戒』(島崎藤村)、『野菊の墓』(伊藤左千夫)を論じたものである。「『破戒』の中の〈崇高〉」(第二章)では、北信州の雄大な山岳風景を背景に、出自の〈告白〉をめぐって展開される丑松の葛藤を、サブライムな自己超越への欲望のドラマとして読み解き、差別問題をめぐる社会と個人の対決を読みがちな従来の論に対して、負の現実を転倒させる観念の勝利の物語への読み換えを図った。「崇高の衰微」(第三章)では、そのようなサブライムな自己超越からの後退として『野菊の墓』を捉え、画のように美しい風景を額縁に綴られた男性一人称の閉じた語りに、秘匿された性的欲望を核に置くナルシスティックな観念世界、ひいては〈癒し〉としての文学が成立する契機を論じた。

第二部「異性愛と植民地―もう一つの漱石」では、〈崇高〉への意外なまでの親近性を示しながらも、これを文学的主題として中心化してゆく自然主義文学からは差異として析出されてくる漱石テクストを、ロマンチックラブを糸口に論じた。『門』『行人』他に、超越的な価値を志向しながら、同時に〈男/女〉の二項対立を過剰に強調することで、〈帝国〉のジェンダー編成に貢献するロマンチックラブを徹底的に相対化する批評意識を検証した。

第三部「近代資本主義の末裔たち―村上春樹とその前後」は、漱石において構造化されてくる〈異性愛―成熟―社会化〉の歪んだ図式が資本主義、ひいては高度消費社会の矛盾として顕在化してくる〈戦後〉の日本文学を、〈喪失〉という名の〈不適合感〉を武器に近代の限界に迫ろうとする村上春樹を中心に瞥見した。拙著の副題を「夏目漱石論の射程」と名づけた所以である。

《ひつじ書房(ひつじ研究叢書・文学編6)、2013年3月、264頁、5800円》

▼ 千本英史 編『「偽」なるものの「射程」―漢字文化圏の神仏とその周辺―』

千本英史(本学教授)

さきに、現代思潮新社から『日本古典偽書叢刊』全三巻(2004〜5年)を出してから、もう十年近く経った。この間、偽書という営為について、さまざまに考えてきた。それらをこのあたりでいったん纏めておきたいと考え、研究交流のある方々二十四人にお願いして、論文集としてまとめたのが、この本である。

あつかましくも冒頭に、私の「はしがき」と「序章」を置き、以下、第一章「東アジア諸国の「偽」の世界」、第二章「日本における「偽」なるものの展開」の二部構成とした。

第一章は論文八本とコラム一本で、本格的な論の展開を目指した。はじめに(厳密には東アジアとはいえないが)物語の基礎となる、インドについての「インド大乗仏教における偽書・擬託の問題―とくに龍樹の著作を中心にして」(五島清隆氏)、つづけて中国での展開を解説した「中国近代にとって「偽書」とは何か―「偽書」と「疑古」の二十世紀」(谷口洋氏)を置いた。これによって、インドでのありようが中国でどう展開したか、見取り図が明らかにされたと思う。さらに中国については「神々との対峙―伝李公麟筆「九歌図」は何を訴えたか」(楊暁捷氏)を置いて、絵の問題に論を拡げた。五島氏は私の大学院生時代に知り合うことができた先輩の仏教学者であり、谷口さんはいうまでもなく今の大学での同僚、そうして楊さんは大学院時代の学友である。多くの人に教えていただいて、自分のいまの文学の研究があるということをいまさらながらに痛感している。

続いてヴェトナムについての論文が三本並ぶ。この三本という数はちょっと誇っていいかと思う。ヴェトナムには何度も足を運んで、自分でも直接に文献調査もさせていただいているが、なかなか適当な文学史の本もなく、まして「偽書」についての概論など求むべくもない。そんな中で増尾伸一郎氏、グェン・ティ・オワイン氏、大西和彦氏といった、第一線の研究者に論じていただいたのは、ほんとうにありがたかった。

お一人ずつの名前をあげていては紙数がいくらあっても足りないので、以下は省略に従うけれど、第一章の最後には朝鮮・韓国についての論を配し、続けて第二章では、日本に焦点を絞って論じてもらった。こちらは論文は五本に留め、コラムを八本配して、多角的な検討を加えていただいたつもりである。

十年以上偽書を追いかけてきて、あらためて思うのは、偽書を学ぶということは、文学そのものを学ぶことそのものであるということだった。偽書は、いわゆる文学活動の鏡影なのだからあたりまえのことだけれど、何処の国に行っても、そのことを痛感させられることばかりだった。そうしてまた、東アジアという比較的近接した地域においてさえ、それぞれの国のそれぞれの時代の文学営為というものは、微妙にずれ、微妙に重なって、脳天気なブンガク研究の徒である私の予想をいつも裏切ってくれるのである。

《勉誠出版(アジア遊学161)、2013年3月、269頁、2500円》

▼ 樋口百合子 著『「歌枕名寄」伝本の研究』

樋口百合子(奈良女子大学古代学学術研究センター協力研究員・平成23年博士号取得)

修士課程を終えてから三十数年を経て、平成20年の10月に、博士後期課程の学生となった。修士論文では中世名所歌集『歌枕名寄』の写本を校合し、諸本の系統を取り扱った。流布本とした七写本中の最善本である宮内庁本は、校合資料として扱ったままで、いつか全巻を翻刻したいと思いつつ手付かずで三十年近く経ってしまった。博士課程に進学し、まずその作業にとりかかったのである。宮内庁本と陽明文庫本、そして新たに発見された冷泉家時雨亭文庫本の三本を翻刻し、資料編とした。総歌数は八千首を超えた。翻刻作業をしながら、かつて見逃していた成立情報や、改めて興味を抱いた万葉歌の朱の書入れ、冷泉家時雨亭文庫本の特異性などを論にまとめ、修士論文やそのほかの論文を加え論文編とし、資料編と併せて平成23年3月に博士論文として提出した。本書はこの博士論文をもととしたものである。博士論文をそのまま用いるのだからと安易に考えていたのだが、翻刻にしても、論文にしても改めてみると訂正したい箇所が多くあり、さらに校正の過程でも見直すべき箇所が出てきたりと、終わりなき作業が続いた。校正も索引作成もほぼ一人の作業であった。校正が出る度に、和泉書院にキャリーバッグを引きながら、通い続けた暗い道を、今も上六を通る毎に思い出す。しかし宮内庁本の翻刻作業をしながら、写真でしか見ることのできなかった高松宮本や陽明文庫本を実際に見ることができ、疑問を抱いていた箇所を明らかにすることができたのは大きな喜びである。博士課程では坂本信幸名誉教授・奥村和美准教授のご指導を受け、本書の上梓にあたっても数々のご助言をいただき、坂本先生には序文も頂いた。猶本書は日本学術振興会の平成24年度研究成果公開促進費の交付を受けた。

《和泉書院、2013年2月、684頁、23000円》

▼ 筧文生・野村鮎子 著『四庫提要宋代総集研究』

野村鮎子(本学教授)

『四庫全書総目提要』に著録される総集は、一百六十五種、九千九百四十七巻に及ぶ。その大半は、明代以降の書であるが、ここに宋代総集が三十四種含まれている。

本書は、この三十四種の宋代総集の提要についての研究書であり、また、これまでに上梓した『四庫提要北宋五十家研究』(汲古書院、2000年)と『四庫提要南宋五十家研究』(汲古書院、2006年)とをあわせた四庫提要宋代集部研究の最終章にあたる。

本書でいう宋代総集とは、宋代の文人によって編まれ、かつ宋代の詩文が収録篇中に含まれている詩文集を指す。筆者は宋代総集研究によって、編纂者の文学的志向や時代特有の文学観を考察することができるという見通しをもっている。しかし、従来の文学研究では、総集はせいぜいのところ宋代の詩派や文派の研究資料の一つとして扱われるに過ぎず、文学研究で脇役的な存在であったことは否めない。近年、中国では祝尚書氏の多年にわたる書誌的研究が『宋人総集叙録』(中華書局、2004年)として上梓されたが、日本においては宋代総集の文献学的な研究はあまり進んでいないのが現状である。既存の宋代文学史でも総集編纂の意義について言及したものは多くはない。

宋代の総集に特徴的ともいえるのは、編集テーマの多様化である。『会稽綴英総集』『天台集』『赤城集』『成都文類』などのように詩派や文派にかかわらず特定の地域をテーマとしたものや、『同文館唱和詩』『坡門酬唱集』のように文人の唱和詩を集めたもの、『古今歳時雑咏』や『声画集』のように詩の主題によって編纂したもの、『月泉吟社』のように詩のコンテストの入賞作を集めたものなど、一口に総集といっても多くのバリエーションが存在する。総集は、当時の人々や特定の詩派がどのような作品を精華と考えていたかという文学観を反映しており、宋人によるバラエティに富む総集の編纂は、文学観の多元化を意味していよう。

本書の各篇は、『提要』の原文、それに訓読、現代語訳、注、附記を加えた五つから成る。宋代総集の四庫全書本には版本上の問題が少なくないことから、附記には、和刻本や標点本の有無や善本の所蔵先といった個々の総集に関する基本情報のほか、調査の過程で得た版本上の問題や流伝についての新しい知見を記すように心がけた。日本における宋代総集の研究は緒についたばかりである。本書はその指針となろう。

《汲古書院、2013年1月、360頁、9000円》

▼ 竹田治美 著『宋代語録における副詞の研究』

竹田治美(奈良学園・奈良産業大学准教授・平成20年博士号取得)

大学院に入学して、日亜図書室に置かれた貴重な古典蔵書の多さに驚き、とりこになった。早速、興奮気味でその魅力を味わおうとしたが、その後、度々難しさで挫折に陥る。そこで入矢義高先生の手書きの『朱子語類口語語彙索引』に出会い、かつて、日本の漢語史研究はあらゆる分野中国より数段進んでいたことを初めて知った。特に近代の語彙・語法研究は、中国に大きな影響をもたらした。

言語は時代の流れとともに変化するのであるが、それにはさまざまな要因が考えられる。すなわち言語の内的な要因と外的な要因である。時代の変化の中、言語の変遷のプロセスには時代ごとの特徴があるが、単純に時代を割り切ることができないことも特徴である。

漢語語彙の発展過程や特徴、機能を明らかにすることは、漢語史の研究に大いに役立つものであると考え、しばらく中古時代の説話集に没頭した。そして第一歩として選んだのは古代副詞である。古代漢語の副詞は、他の品詞として用いられるなど複雑な品詞であり、数が多く、多様性を持っている。また、一般的に副詞と称されている語群は、意味や性質、状態、特徴によって分類方法が大きく異なり、学説も多岐にわたっている。

博士論文では宋学語録に着目したが、この大部の書を選んだのも無謀な挑戦だった。底本は宋学語録であるため、文言文と口語表現が同時に用いられ、儒教の経典、思想、哲学など広範囲の知識が必要とされるため、日々苦痛を感じながら作業を進めた。指導教官の野村鮎子教授は私に油断も隙も与えず、引っ張ってくださった。博士号を得ることができたのは、ひとえに先生のご指導の賜物である。

本書は、宋代語録合計一七五巻、副詞四三六種類を考察したものである。一つのジャンルの文体に限られ、全体的な特徴を敷衍できるとは言えないが、これが中国古代語彙史の「蒼海の一粟」にでもなれば幸いである。

《白帝社、2012年12月、294頁、4600円》

▼ 豊田恵子 著『三条西実隆』

豊田恵子(宮内庁書陵部図書課研究員・平成17年度博士後期課程単位取得退学)

三条西実隆(1455〜1537)は、室町期の公家であり、一流の文化人であった。後の御所伝授へと繋がる古今伝授を宗祇から授けられ、自身の息公条へと伝授する。また室町期を論ずる上で欠かせない、公家の日記として一級の資料である『実隆公記』を残しており、歴史上・文学史上でも重要な人物であった。しかし、一万首余り詠じられた和歌については、今まで詳細に論じられることはなかった。室町時代の和歌は論じる価値がないとされていたためである。確かに実隆は、平明温雅な歌風をよしとする二条派(つまり新味がないということ)に属していた。しかし、実際に一首の和歌を読み解いてみると、平明温雅の一言では言い尽くせない趣向が凝らされていることがわかる。本書では、今までなかなか精読されてこなかった実隆の和歌一首一首を丁寧に読むことで、実隆の歌人としての魅力を伝えることを重視した。いずれの和歌も、一筋縄ではいかない趣向が二重三重に施されており、ある種謎解きをするような面白味があった。そこには、決して詠みつくされた伝統のみにとらわれることなく、常に新しい和歌を詠もうとする挑戦的な歌人としての実隆の姿が立ち現われるのである。

なお、本書は、和歌文学会編集の、コレクション日本歌人選シリーズ全六十冊のうちの一冊である。本シリーズは一人の歌人の和歌を読解することに重きを置いている。歌人は万葉から近代に至るまで幅広く網羅されている。本書では、三条西実隆の和歌および狂歌を四十首取り上げた。一首につき、二頁ないし四頁を割いて、実隆の和歌の趣向の凝らしようや、一首の眼目を解き明かすように努めた。ご一読いただければ幸いである。

《笠間書院(コレクション日本歌人選)、2012年11月、124頁、1200円》

▼ 岡崎真紀子・千本英史・土方洋一・前田雅之 編著『高校生からの古典読本』

岡崎真紀子(本学准教授)

日々いろいろな文学と向き合っていると、自分がこれについて何か論じたとしても、テクスト自体が持っている圧倒的な言葉の力に比べれば、所詮ちっぽけな営みに過ぎないと感じることがある。とは言え、その力が一体いかなるものかを明らかにし、ときほぐして語ることこそが仕事なのだと思っている。

本書は、四人の古典文学研究者が、上代から近代までの文学のなかから作品の一節を選りすぐり、自分はこんなふうに読んだという解説を添えて、わかりやすくまとめた著である。『源氏物語』から僧侶の奇行を語る説話、そして北村透谷や文語体聖書に至るまで、さまざまな三六編を収めた。中学校や高等学校の教科書ではとりあげられないような文章も積極的に収録する方針をとっている。「古典読本」や「古典入門」などと銘打つ本は他にも多く刊行されているが、明治以降の文語体で書かれたものも採録の範疇とした点と、編著者それぞれの一癖(ひとくせ)ある目によって選んだ作品のラインナップは、他とは異なる本書の独自性と言っていいのではないだろうか。このような編集の姿勢は、ともすると前近代と近代を截然と区別しすぎるために文学史を図式的に捉えがちなものの見方や、学校教科書という一定のバイヤスがかかった観点はひとまず括弧に入れて、原文そのものを味わってほしいという、本書の心意気をものがっている(と自負しておこう)。

四人の編著者の専門は、主として中古以降近代以前の国文学である。本書を編むにあたって、ふだん守備範囲としている時代とジャンルはもちろん、日頃は正面切ってとりあげることが少ない作品にも手をのばして、収録する文章を選んだうえで、高校生のみならず幅広い一般読者にむけて語りかけるつもりで解説を書いた。それは冒険でもあり、快楽でもあった。なにより、すこぶる愉しかった。我々が味わった愉しさとは、やはり三六編のテクストに内在する言葉の力がもたらしたものに他なるまい。長い時間のへだたりを越えてなお読む者の心を躍らせてやまない「古典」の手ざわりを、この一冊を手に取った人々に受け渡してゆきたいと思うのである。

《平凡社ライブラリー、2012年11月、392頁、1400円》

▼ 樋口百合子 著『いにしへの香り―古典にみる「にほひ」の世界―』

樋口百合子(奈良女子大学古代学学術研究センター協力研究員・平成23年博士号取得)

香道を習い始めてから、古典文学と香りの関係について、疑問に思うことが多々あり、それが本書を書くきっかけになった。平安末まで書く予定であったが、量が多くなり、上代までとした。入門以来ご指導を受けている、志野流二十世家元蜂谷宗玄宗匠の序文をいただいた。同年夏に名古屋の家元邸において、一日がかりで行う、「古法十〓(火+主)香」の御伝授をうけ、思いがけなく最高点で宗匠の直筆の記録をいただいたことは上梓の記念となり、少しはご指導に応えることができたかと思っている。本書をきっかけに、組香の証歌についてもまとめてほしいという同門の方々からのご要望をいただいているので、いつか手掛けてみたいと思っている。

《淡交社、2012年5月、223頁、1900円》

▼ 磯部敦 著『明治前期の本屋覚書き  附.東京出版業者名寄せ』

磯部敦(本学准教授)

2012年5月、拙著『明治前期の本屋覚書き 附.東京出版業者名寄せ』が金沢文圃閣より刊行された。同書は文圃文献類従シリーズの一冊で、出版研究に有用な文献史料を復刻していこうというもの。同書においても、朝倉屋久兵衛「明治初年東京書林評判記」(『古本屋』3号、荒木伊兵衛書店、1927年11月)、蝸牛老人(朝野文三郎)『明治初年より二十年間 図書と雑誌』(洗心堂書塾、1937年)、および「書籍組合及書肆の変遷」「同(承前)」(『図書月報』2巻9・10、1904年)といった、明治初期の本屋に関する史料が復刻されている。これらはいずれも本屋じしんが語る同時代史料であり、その意味できわめて貴重な出版史料といえるのだが、その一方で記憶の混乱や操作が見られ、経験語り/騙りであるがゆえの危険性もある。その点については解題「出版史料としての〈物語〉―付「博文堂書店創立願」と明治二十年代の博文堂―」で述べたところである。

ところで、目当ての本屋がいつ頃から営業していて、どういった史料から裏づけられるかといったことを調べようとしたら、たとえば江戸時代であれば井上隆明『近世書林板元総覧』(青裳堂書店、1988年改訂増補)をはじめとする工具書が揃っており、さしあたって同書に就くところから始めていくことが可能である。が、こと明治初期のばあい、鈴木俊幸『近世日本における書籍・摺物の流通と享受についての研究―書籍流通末端業者の網羅的調査を中心に―』(科研報告書、1999年)以外に工具書はない。むろん、国会図書館の近代デジタルライブラリーで本屋検索すればある程度の傾向をつかむことは可能であるし、前掲鈴木書との併用でかなりの部分までまかなえるが、組合への参加状況や外からのまなざしまではわからない。本書掲載の付録「東京出版業者名寄せ」は、これらの問題に応えるべく、番付や買物案内といった名寄せ史料、組合設立文書等における本屋の屋号・所付け等を一覧にしたものである。精密な商人録の備わらない時期の本屋を調べる際の工具書として利用されたい。とまれ、大学院生時代からポチポチとパソコンに入力していたテキストデータがこのようなかたちで公開されることになるとは、なんともうれしいかぎりである。

さて、神保町が古本の街であり、京橋が印刷の街であったように、土地によっては商売と密接にからみあっている。では、奈良はどうなのだろうか。本屋や印刷所の分布状況はどうなっているのだろうか。そこに地域性と呼びうるものは見いだせるのだろうか。目下の、私の興味のひとつである。

《金沢文圃閣、2012年5月、308頁、19000円》

▼ 岩崎紀美子 著『與謝野晶子とトルストイ』

岩崎紀美子(昭和35年度卒・平成22年博士号取得)

四〇年近く教育現場での実践にのめり込み、書くことに無縁で来た。それが、與謝野晶子の実存追求に魅かれ、退職後、学の世界に深入りし、些かの思考を論にまとめる仕儀となった。「詩『君死にたまふこと勿れ』成立に関する試論」として『叙説』に発表、思いがけず我が作物が活字になる感激を味わった。一新聞記事をヒントに当時神格化されていた詩評に踏込を試みた、振り返れば大胆な立論であった。あれからもう十二年になる。その後も幸いに、晶子に於けるトルストイ思想の影響を追求する論を加えることが出来た。請われるままに処々で講演、晶子評論の世界では、私の〈トルストイ影響説〉も多少定説化しつゝあるらしい。この度書籍化への要望があり、安価で気軽に手にしていただける文庫本の形で出版した。

内容のコンセプトは、本の帯に、編集子が手短に紹介してくれた文が語っているので引用する。

評論家・與謝野晶子の内なるトルストイ。晶子の基本理念は、トルストイ思想の熟成によりもたらされた。與謝野晶子論の新地平をひらく実証研究。さらには、その存在が知られながら、著名な幸徳秋水訳のかげにかくれて論議されることのなかった杉村楚人冠訳「トルストイ伯『日露戦争論』」の全文を収録、分析する。

晶子ゆかりの東京・荻窪で拙著の読後感想として、「著者は魅入られたかのように研究を始めます。二通りの訳による表現の違い、晶子の詩との対比、当時あえて反戦を唱えた晶子の思惑、それを匪賊なりと攻撃した文壇、文豪トルストイの思想、様々な角度からの検証は次第に焦点が合っていくようで、著者の意気込みが伝わってきます。」と、タウン誌『荻窪百点』(二八六号)に評して頂いた。著者冥利につきる。與謝野晶子の評論には、現代に生きる視点が数々ある。「人として」生きる事を志す若き後輩方にお目通し頂けたら幸いである。

《文芸社文庫、2012年4月、343頁、777円税込》

▼ 磯部敦 著『出版文化の明治前期―東京稗史出版社とその周辺―』

磯部敦(本学准教授)

いまにして思えば、私の研究は、神保町交差点の近く、神田古書センターにある某古書店から始まったのかもしれない。

大学院入学後に買った、人生初の和装本。明治15年に東京稗史出版社より刊行された曲亭馬琴著『夢想兵衛胡蝶物語』、いわゆる活字翻刻本である。善本思想からすれば無価値のレッテルをはられる明治期活版後印本なのだけれども、近世と近代が交錯する時代を研究対象にした私にふさわしく思えたのだ。また、ゼミや卒論で草双紙などをひたすら翻刻していたこともあって、刊記「翻刻御届」の文字になんだか親近感を覚えたというのもある。半紙本、上下二冊で、福沢諭吉が二人ほど私のもとから去っていったのを覚えているが、その後の古書展で二冊500円ほどで購入できたときの驚きと悔しさも忘れてはいない。ともあれ、そのときに購入した人生初の和本が初めての単著の表紙を飾っているのは感慨無量である。

本書は、その古書店から始まった研究の軌跡である。内部史料もなく、刊本と周辺史料を漁りまくるところから始まった私の研究は、本屋研究から予約出版方法という流通の問題へ、そこから予約利用者という読者の問題へ、そして読者たちの思考や行動を規制する「文学」や「中流」という時代の問題へと展開していった。第一部各章の展開は、そのまま私の興味の変遷でもある。本書第二部は銅版草双紙、沢田文栄堂の仏書出版、石川県における新聞流通と対象がばらついているけれども、これまた私の興味関心の反映だ。そのとき目についた事象、面白そうな史料に出会えば、とにかくひたすらその対象に没頭した。明確な見とおしもなく、時代への、ただぼんやりとした興味だけが私の原動力であったけれど、だからこそ広い視野が保てたのだと思う。などというのは手前味噌だろうか。

極端にいってしまえば、私たち研究者の仕事は「歴史」を語ることだ。当時の「普通」のありようを、「あたりまえ」の時代の心性をいかにして浮かびあがらせ、それをどのようなことばで、どのように「歴史」として語るのか。なんとも大まかな話ではあるけれども、興味のおもむくままに研究してきてここにたどりついた。もちろんこれは結論という終わりなのではなく、私の研究はここからまた始まるのである。

《ぺりかん社、2012年2月、364頁、7500円》

▼ 阿尾あすか 著『伏見院』

阿尾あすか(奈良学園大学助教・2000年本学卒業、京都大学大学院博士後期課程修了)

鎌倉時代後期の持明院統の天皇、伏見院は、京極派和歌を代表する歌人でもあった。本書は、伏見院の特徴的な歌風や思想が表れた和歌を三十七首選んで、これに注釈を加えたものである。京極派和歌の特徴として、繊細な自然描写が挙げられるが、これは、創始者の京極為兼が傾倒していた法相宗の唯識思想に基づくものである。あらゆる存在現象は心の認識によって存在するに過ぎないとする唯識思想を踏まえ、京極派歌人たちは、心に影像として浮かぶ自然の光景を歌に詠んだ。天皇である院の場合は、「天地(あめつち)」の「心」の調和によって国土が治まるという国家観が加わる。これには、持明院と大覚寺の両統が正統性をめぐって争ったことが背景にあり、伏見院には自統の正統意識が強烈であった。そうした正統意識が発露している歌がある一方で、院の和歌には隠遁を志向するものも多い。院には王朝古典文学や漢詩文を愛好する心があり、それらの表現を摂取したものも多いが、院の和歌が志向する隠遁とは漢詩文の影響を受けたものであったことが窺われる。

以上が、拙著の概要である。一般の読書人向けに著したものであるが、ぜひこれから古典を研究したいと考える大学生を念頭に執筆した。論文を書く時は、苦心惨憺することが多いのであるが、本書を執筆する時は不思議と伏見院の歌境に遊び、楽しい心持ちであった。読者にもその時の楽しさが伝われば幸いである。

《笠間書院(コレクション日本歌人選)、2011年7月、116頁、1200円》


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