『進みて那羅山に登りて軍す。時に官軍屯聚みて、草木蹢跙す。因りて其の山を号けて、那羅山と曰ふ』
(日本書紀)
はるか昔、崇神天皇に謀反を企てた武埴王が城から大和に入ろうとした。天皇はこの地に兵たちを集め、
その際に現在佐保山と呼ばれている山を踏みならし平らにした。このことからここに「なら」という地名が誕生した。