このあたりは、かつて奈良時代における平城京の区画のうち、東にとびだしていた「外京」と呼ばれていたところです。世界遺産に指定された元興寺があり、その周辺の緩衝地域(バッファゾーン)として古い町並みを残すように定められている地区でもあります。そのため、江戸時代の終わりごろから、明治時代にかけての町屋の面影があちこちに残っており、また、平城京の外京のなごりで、神社やお寺が多く見かけられます。
「ならまち」という地名は、地図には載っていなく、定められてもいません。主に、「ならまち」というのは、元興寺の昔の境内を中心とした一帯をさして言われますが、範囲の認識はとてもあいまいで、その人それぞれの主観によって違います。
これも、ならまちの不思議の一つですね。